本日は木曽福島市にあります、旧木曽山林高校とその裏山になります、城山県有林の視察に行ってまいりました。

旧木曽山林高校に行ってまず目を惹いたのは、この巨大なジオラマ。

写真は長野県木曽谷の模型で、左下が塩尻、右上が岐阜県の中津川あたりになるそうです。

この模型は、東京の博覧会に出展するため、旅館業を営む児野嘉左衛門(ちごのかざえもん)が2年掛かりで製作したものです。

作られたのは、なんと明治14年(1881年)、じつに132年前のことです。

なぜそれほどの歳月を経て壊れないのか?
じつはこの模型、木曽桧を彫刻して作られています。
そして東京への搬送のため、29のパーツに分かれるようになっているとか。

はたして精度はどの程度のものなのか。
現在の技術でこの模型を測量したところ、精度は「そこそこ」だそうです。
おそらく当時の地図を参考に作られたとみられ、地図自体の精度もそれほど正確で無かったようですが、随所に当地独特の地形などが立体的に表され、歴史的にも非常に価値のある模型となっています。

さて、そんな価値ある模型が、じつは保存の危機に晒されています。
いや、上の模型に限らず、これから並べる写真、すべて保存の危機なのです。

木曽山林高等学校は2007年木曽高等学校と統合し、長野県木曽青峰高等学校になりました。
山林高校には歴史的にも非常に価値のある林業関係の様々な展示物がありましたが、統合に伴いこれらの展示物はすべて使用していない校舎に追いやられました。
そして今は特に展示というわけでもなく、カーテンも無い部屋にまとめられれ、容赦ない西日や過度の乾燥状態に晒されています。

旧山林高校のOBたちはこれらの展示物を守ろうと県に保存のための予算を取り付けようと交渉していますが、今のところ予算が出ることはなく半ば放置された状態になっています。

今日も平均年齢75歳以上というOBの方々が有志で集まって、それらの資料を整理したりしておりました。

これらの、いつどうなるか分からない膨大な資料の数々、今日はその一部を写真に収めましたので、紹介していきたいと思います。

まずは木曽林業の用具標本。

手道具って、なんかカッコいいですね。
チェーンソーもカッコいいけど、手道具には別のロマンがあります。
一部ちょっと持ってみたら、柄の部分の握り心地が最高でした。

こちらはちょっと写真映りが悪いですが、吉野林業の用具標本。

吉野ヒノキは、1ヘクタールあたり1万本といった、超密植によって成長をわざと遅らせ、樹齢250年といった細かい年輪のヒノキを産出する、奈良県のいわばブランド木材です。

各樹種の種です。ドングリや松ぼっくり、普通の種など、色んな形態があります。

木材を搬送したレールと林業架線の模型です。

伐採作業者の宿泊小屋(だったと思います。作業小屋だったかな?)

各種測量機械。測量機械は、このほかにもたくさん置かれていました。

銀座丸ビルの基礎杭。なんと丸太なんですね。

水没した丸太は半永久的に持つともいいますし、完全な水没が無理なら逆に石灰を入れて水を絶つ、焼いて表面を炭化させるなど、丸太杭にも様々なノウハウがあるようです。
自分の小屋を作る機械があったら、埋没式丸太杭を試してみたいです。
さすがにお客様の建物でやるのは、ちょっと怖いです。

キジのオスメスの剥製。

ヤマドリのオスの剥製。

ヤマドリのメスの剥製。

これらを見て、やっと見分けがつくようになりました。
まあ来年見分けがつくかどうかは微妙ですが・・・。

午後は山林高校の裏山の城山県有林の視察に行きました。
吊り橋を渡って、県有林へ。

この吊り橋、まあ揺れますわ。

急斜面を登ること20分。けっこうハードです。
しかしエラいもので、普段きのこ採りをしている人、森林組合の人は平気で登っていきます。

色んな樹を見ながら、こんな感じで林業センターの職員さんが解説してくれます。

直径1Mもあるモミの大木。

モミは木材市場に持っていってもお金にならないため、生き残って大木になったそうです。木の立場からすると、高値がついたら溜まったもんじゃないですね。

道中、とんでもない巨大キノコが!

名前忘れちゃいましたが、食べられるそうです。
(と言った人は持って帰ろうとはしませんでしたが・・・)
私の手と比べると、その大きさは一目瞭然!

妻の顔と並べても、結構な大きさです。

そんな感じで今日の授業は終了。
実は明日の朝レポートを提出しなければなりません。
ブログ書いてる場合じゃない・・・